2017-08-05

We Didn't Mean to Go to Sea


“海に出るつもりじゃなかった。
これはアーサー・ランサムの小説のタイトルですが、人生にはそういうことがときどきあって、「彼女」の人生もたぶんそんなふうにして、それまでの生活から切り離されてしまったのだろうと思います。”

江國香織さんの「神様のボート」という小説のあとがきはこう始まっています。
何年も前にこの文章を教えてくれた彼女は私より多くの本を知っていて、何かの話をしている中でこのあとがきを教えてくれたのだけど、何年経っても覚えているのはきっと“海に出るつもりじゃなかった”という文章が当時の私にあまりにも的確な表現だったからだろうと思う。明確にその記憶はあるのに、どういう状況だったのかはあまり覚えていない。多分いろいろあったんだろう。もう忘れてしまったけれど。

冷静に自分のことを考えてみても“こんなはずじゃなかった”と思うことも多い。学歴や仕事、身の回りの環境に外見や内面諸々、昔の自分が想像していた33歳の私はまさにこんなはずじゃなかった。けれど、どうなっている予定だったのか?と具体的に問われるとそれが出てくるわけでもない。それなのにこんなはずじゃなかった、と思うのは間違っているのに、どうしてもそう思ってしまう。自分を悔やむわけでもなく、他人を責めるわけでもなく、ただ単純に。子供のようにポロッと溢れてくる。
それでもいつが一番良かったとかいつに戻りたいとかそんな話になると私はいつだって今が一番いい。戻りたい過去なんてない。そういう話の場で言うと盛り下がるので実際口にはしないけれど、本気でそう思っています。誰にとやかく言われようとも、それが事実なのだから。




早いもので上京して15年になったようです。“東京”という場所は私にとって当然行くべき場所で、地元を出ることは義務教育と同じように、18歳になったら必ずそうなると小学生のころから思っていました。あの時、全く疑わずに東京に住むという選択をした自分の意志の強さは尋常じゃなかったし、高校をやめた時も何一つ疑いもなくそれは変わらなかった。今思い返せば信じられない話だけど自分の考えが間違っているとは微塵も思っていなかった。そして東京に出てきたことはやはり正しかった。(と思う)

久々に「神様のボート」を読み返しました。ボロボロでドックイアだらけの単行本。恋愛小説というカテゴリの中でどういう位置づけなんだろうな。改めて読んで思うのは、かなりクレイジーな物語だなということ。過激な展開とか言葉とか、そういうものを捻じ伏せるくらいの静かな狂気を感じる本。
昔つけたドックイアも、ああこの部分が好きだから折ったんだなと過去の自分と摺り合わせしながら読むと面白い。一番最初は10ページめ、“しずかで、他に誰もいなくて、空は心おきなく晴れていて、何ひとつ心配なことはなかった。”という一見なんてことない文章に涙が出そうになる。そこに惹かれるのはきっと昔も今も、世間は煩わしくて、空が心おきなく晴れることなんてなくて、あれこれ心配なことばかりだからだ。
それでも去年より生活が楽しいし、メンタルも鍛えられてきたし、たまに顔を出す根っからのネガティヴさとも適当に付き合えるようになった気もするし、心折れることも多々あるけれど、どうにかこうにか耐えています。いつか東京に憧れていた幼い私に胸を張れるような自分になるはずだから、大きなビジョンを描くことも疎かにせず、ささやかな夢をみることを忘れずに、毎日をコツコツ生きていけたらいいなと思うこの頃です。