2016-05-30

wear





sacaiのカーディガン、買ったのは5年以上前。
当初からとにかくお気に入りすぎて毎年着ているため、心なしか袖がほつれてきました。困る〜。



RE/DONEのデニムにchemburのフラットシューズ。
vintageのデニムとリアルパイソンの素材の組み合わせが納得の満足度。

最近は随分とラフに生きています。




2016-05-23

penholder




インテリアショップにて。
水牛の角で作られたペン立てだそうです。遠くから見つけた瞬間に「あれは絶対買うべきだ」と思い、手に取り「これは私が買わなくては」と思い、値段を確認し一応悩んだふりはしてみたもののほぼ即決でした。
こういう模様や色具合は実は気に入るものが少ないのですが、これは完璧じゃないでしょうか。一枚目の写真の角度がベストの向き。白っぽさと上部のベージュ、滲み出るような黒、曖昧にぼやけたグレー!




内側の底はほぼ真っ黒でそのコントラストも絶妙。引きずり込まれるような闇が広がっているようでジワジワくる何かがあります。勿体無くてペンなど入れられません。完全に観賞用です。視界に入るだけでうっとり。

物が少ない部屋は基本だけれど極限まで物がないタイプの部屋ではなく、厳選されたこだわりの物たちが存在する自分らしい部屋がいいな。
白い棚の上にポツンと置いてあるだけで心地良い威圧感を感じるほどパワーがあるペン立て。
とにかく最高です。





2016-05-14

armors



Rivale Double Tour Hermes leather bracelet / GARNI ring / chigo pyramid stud bracelet 

柔らかく馴染んできたカーフレザーに徐々に色に重みがのってくるシルバーたち。
新品の状態よりも使い込んできた今のほうが好き。
日中はつけていないと落ち着かないのに、部屋の扉を閉めたらすぐに身につけない素の自分に戻るのが毎日の心地良い習慣。そして外したあとも眺めて心が満たされるお気に入りのアクセサリー。
特にHermesとchigoの相性の良さは格別!重なり具合やスタッズの大きさの比率等々、とにかく二つ一緒につけると各々のパワーが倍増する気がします。
シルバーだけだと強くなりすぎてしまうので、両中指には千切れそうなゴールドのチェーンリングを常につけっぱなし。この組み合わせが自分らしくて、何年も定番のお気に入り。




2016-05-09

white ponyskin



CHEAP MONDAY second skin denim / CHEMBUR pointed shoes

素足にポニースキンのシューズは大好きな組み合わせ。
今年はCHEAP MONDAYのジップデニムで。
センタースリットが気分にしっくり。



2016-05-03

「先生と私」

佐藤優さんは元外交官、鈴木宗男事件に絡む背任容疑で逮捕され失職、作家へと転身された方。同志社大学神学部卒業、神学修士号である佐藤氏のキリスト教に関する書籍を読んでから興味を持ち、この本に辿り着きました。
1960年から1975年の高校入学までの自伝ノンフィクション。家庭環境のことから志望校を絞るいきさつ、受験戦争あれこれ、そして最後は感銘をうけた小説のゆかりの地へと一人旅へ出る。
インテリジェンスに富む人間がどうやって作られるのか、生まれもった才能だけではなく、両親の教育や「師」と呼べる人々からの言葉、そういったものが蓄積され、個人として妥協せずに突き進んだ結果なのだと思いました。
誰もが通るであろう幼少期、小学校から高校受験までの足取り、そのケタ違いな世界に圧倒されつつも、神学や哲学について知識がなくても非常に分かりやすく、途中で挫折せずに一気に読みました。




中学の頃に“山田義塾”という進学塾へ通うようになるのですが、そこで出会う先生が佐藤氏に影響を与える“師”となる人々。点数を取ることではなく、授業が面白くて勉強にのめり込むという秀才の脳に火がつきます。特に成績のよい者を集めたクラスの国語の授業で、“カミュの『異邦人』をよく読み込んでいる埼玉大学付属中学校の女子生徒”がとんでもない質問を先生にぶつける場面。


「島尾敏雄の特攻体験は、ドストエフスキーの体験と重ね合わせて理解することは適切でしょうか」
先生は、少し考えてから答えた。
「いい質問です。ただし、重ね合わせて理解していい部分とそうでない部分があると思う。ドストエフスキーは、政治犯として、最初、死刑を言い渡されます。そして、処刑場に連れられていき、いざ銃殺となるという最後の瞬間に、皇帝からの使いがやってきて、恩赦が言い渡される。死刑から流刑に減刑される。一旦、死ぬことになっていたが、死を免れたということでは、二人の体験は似ている。しかし、そうでない部分もあります。
ドストエフスキーは、革命を起こそうとする団体に所属した故に死刑を言い渡される。国家に反逆したことが、死の原因です。これに対して、島尾は、学徒兵として、国のために死のうと思った。それが日本の国が敗北してしまったために、生きながらえることになった。何が死の原因となりうるかということで、二人の体験は決定的に異なる。従って、死をめぐる実存についても、きっと異なった理解になるのだと思う」
(第四章 哲学と神様より)


相手が中学生だからといって全くもって子供扱いしない、同等の対話をすることが後にも登場する先生方の共通点であると思いました。そして大人から見ても子供扱いするに値しない秀でた頭脳の持ち主だったとも言えます。議論して大人を論破するために鍛えぬかれた頭脳は武器になりうる。筋肉をつけるように議論を重ねて鍛えていくことを、若い頃からやってきた人と無縁だった人の差は明確なんだなと。

また進路相談の過程も面白かった。
高校受験を通っていれば、誰しもが自分と重ね合わせてしまうのではないでしょうか。
早稲田高等学院を受験してみたいと数学の先生に相談する場面。


「佐藤くんは、高等学院で何がしたいのですが」
「高等学院では、ロシア語を勉強をすることができます。高校からロシア語をきちんと勉強したいと思うんです」
「どうしてロシア語を勉強しようと思うのか。ロシア文学を勉強したいのですか」
「いや、ロシア文学よりも、社会主義について知りたいのです。ソ連は世界初の社会主義国家なので、ロシア語を勉強して、社会主義について勉強したいのです」
「社会主義について知るなら、マルクスを勉強することが大前提だ。ロシア語よりドイツ語を勉強した方がいい。(中略)ただ、ロシア語を勉強するために高等学院を選択するというのは間違えている」
(第八章 進路相談より)


このやりとりで佐藤氏が感じたのは“数学の先生は断定調の発言はあまりしない。しかし今回は「間違えていると思う」ではなく「間違えている」と断定している”というところに疑問を持ち、さらにそれをぶつけています。中3って言葉尻に引っかかる歳だったっけ,,と中3の自分を思い出すと、本当にこれは高校受験なのか、せめて大学受験の間違いではないのだろうかと疑ってしまいます。
高校受験するまでに何人もの師と出会い、影響を受け、そして自分自身で考える頭脳を育てる。30年以上生きてきた私がまだ到達していない地点に中学生の佐藤氏はすでにいて、さらなる高みを目指しているという事実に恐れ慄きつつも、妙に感動してしまいました。学歴どうこうを飛び越えた超人という印象。

最後、一人旅から戻り、父親との会話のシーンでこの本は締めくくられるのですが、それも映画を見ていたかのような読後感で、色々“師”はいたけれど根底にいるのは父であり母であるというのを認識しているという印象を受けました。自分の経験に基いて子供へ放つ言葉の重みはありながらも、“子供にどうなってほしい”という願望を押し付けない本当の愛情深さ。うっかり涙が滲んでしまうほど。

志望校に合格するためだけの勉強や点の取り方を詰め込んでいるだけでは、潜在能力は眠ったままになってしまう。何に興味を持って、自分が知りたいこと突き詰めたいことに出会うまでただひたすら模索するというのが、学生というかけがえのない贅沢な期間だったのかなと思います。
受験とはなんのためにするのか、受験することで将来の自分にどういきてくるのか、中学生の自分に読ませたかった本でした。

そして本を読むことが好きな自分へ、これからも本を読んでいこうと思わされた先生の言葉。


「佐藤君、読書というものは、他人の頭で考えることだ。それだから気をつけないと本ばかり読んで物知りになっても、人生は全く豊かにならない。『この人はこういう考え方をしているのか』ということを理解したら、一回、頭を白紙にして、別の人の本を読む。そういうふうにいろいろな人の考え方をきちんと押さえておくと、ある時点から自分の頭で考えることができるようになる」
(第六章 数学の先生より)


自分の軸を構築するために、ありとあらゆる思考に触れること。
今から受験することはなくても、素晴らしい“師の言葉”が溢れてる一冊。
男女問わず、どの世代にもお勧めしたい、心に響くノンフィクションです。