2012-07-29

crash




あの朝、今となっては驚くほどではないような、それは未成年の犯行ではなく、通り魔でもなく、想像のつく範囲内の方法で、子が親を殺したわけでもなく、親が子を抹消したわけでもなく、誰かが第三者の手にかけられ捜査が難航したわけでもなく、そして冤罪でもなく、至極一般的な、相手をどうしようもなく憎んだ末、殺すべきだから殺した、というニュースを見た祖母が、真っ白なヨーグルトに多すぎるほどのブルーベリージャムを放り込みながら、「日本は一回滅びるべきなのよ」といつもの口調で小さく呟き、同じ食卓を囲んでいた祖父や両親は余計な口を叩いて祖母を刺激しないようにという配慮のもと閉口し、ただニュースが終わるのを待っていた。わたしは今でもたまに思い出す。咀嚼する音が妙に響き、女子アナウンサーは薄っぺらい笑顔で媚び、くだらないコマーシャルが時間を消費し、誰もが祖母が普通の世間話をし始めるのを待っていた。薄紫色になったヨーグルトの色がひどく気持ち悪く、所々浮いている粒がひからびた虫の死骸のように見え、その甘くゆるいペーストを目を反らしながら口に運んだ。 確かあれは、十四年前の夏。



2012-07-07

Illuminance,Ametsuchi,Seeing Sadow

蝉の死骸が腹を見せている。その上で音もなく回る洗濯物の影。遠くから聞こえてくるのは、やはり蝉の鳴き声。息絶えた同種のことはすでに忘れている。そもそも認識すらしていないのかもしれない。生い茂るススキが一本一本発光しながらただ風に乗っている。画面右下から伸びる皺々のおばあちゃんの手。手首から先しか見えていないのにどうして性別を感じてしまうのだろう。紛れもなく女だった手がずっと痙攣を続けている。右手。左手が震えを抑えようと添えても止まることはない。死んだカマキリに群がる大量の蟻。機械的に人の手で切り落とされる魚の頭。子供が笑っている。ブランコが揺れている。水面が光を反射して煌めいている。カーテンの裾からの朝日。両サイドからの雷の音。赤く茹で上った蛸。火を連れて歩く少女。ビニール袋に詰められた金魚。






小さな部屋に隔離され、わたしは体育座りで二つの画面を追う。膝を抱えて座っている。右も左も知らない人が同じ格好をしている。立ち上がり去って行き、空いたスペースに座る。わたしは何番目だったのだろう。20分の差をつけて同じ映像が左右に流れている。始まりも終わりもわからない。皆、それぞれ区切りをつけ各々スペースから出て行く。見覚えのある日常が暗闇に画面を変えた。右、そして左、どちらも雨が降り止まない。遠くから響く呻き声のような罵声のような雷の音にわたしは子供のように怯え、祈るように両側の雷雨を見つめた。もういらない。だから壊す。何も間違っていない。排除されずに残っていたわずかな記憶が誰かの日常と重なり合い、どこからか蘇り、また消えて行く。 虹色のシャボン玉が悲鳴をあげるように割れた。そして花火を背に誘導する警備員を左の画面で確認したあと立ち上がり映像が流れる部屋を去った。出口付近で最後に見た写真は一部分が亡霊のように燃え上がる炎。消費された魂が尽き果てて尚、燃えているようだった。



ありふれた日常を切り取って差し出されるだけなのに、どうして切なくて苦しいのだろう。

見たことのない数秒がこんなにも美しかったこと、どうして知らなかったのだろう。



川内倫子展 照度 あめつち 影を見る

Kawauchi Rinko Illuminance,Ametsuchi,Seeing Sadow

2012年5月12(土)〜7月16日(月.祝)

東京都写真美術館