2012-12-11

save electricity





週末突っ走って迎えたマンデイ、充電切れのチューズデイ



2012-12-05

例えば世間が認識している私という体躯はただの鎧であり私の核なる魂はもっと奥で息を潜めている、私が歩くと微かに音が鳴るでしょう、カタ、コト、カタ、コト、私が私の中で私の振動に揺られている、私はいつも体育座りで第四の私に癒着し、膝に眼球を押し付け瞼の裏に鈍い稲妻を走らせている、幾重にもなった粘膜は年月とともに硬化し強度を増す、いや生身を、色が白いと皆は言う、背骨を数え凹凸を撫でる、確かな体温は這うように脳まで伝わる、けれど其処部は架空の私であり私ではない、上手に育てた皮膜を、その強固な鎧を、仰臥し触れる、生温い精密さが急激に不安を煽り喉を狭める、ああ息が止まる早くここから取り出せと突慳貪に言う、届かない悲鳴はただ彷徨い煙のようになかったことになる、なかったことになる、私は刃先で一番目の鎧を突き刺すけどいくらめり込ませても現れるはずの空洞に辿り着かず困惑、私は私の切れ目を見つけられない、鎧に隠れた私こそが幻であるとふいに現れたその人が酷薄に言う、お前は剥き出しだった奢りすぎている価値なんかないと、そうか何層にも包まれているというついさっきまでの事実こそが誤解、もうやめればとその口は言う、壊死しかけた指先が宙を舞う、マトリョーシカになる夢を見る、取り出して遊んで欲しいしこれ以上の分解を無表情で、懇願とも言える妄想の矢先ごとんという音がした、頭蓋骨が転がった、勿論中身はなかった、それはまた希有なことで。



2012-11-27

bills




Ricotta hotcakes, fresh banana and honeycomb butter…breakfast from 8.30 am.



2012-11-24

Style




BACCA outer,American Apparel knit,siwy skinny,CHEMBUR boots.



2012-07-29

crash




あの朝、今となっては驚くほどではないような、それは未成年の犯行ではなく、通り魔でもなく、想像のつく範囲内の方法で、子が親を殺したわけでもなく、親が子を抹消したわけでもなく、誰かが第三者の手にかけられ捜査が難航したわけでもなく、そして冤罪でもなく、至極一般的な、相手をどうしようもなく憎んだ末、殺すべきだから殺した、というニュースを見た祖母が、真っ白なヨーグルトに多すぎるほどのブルーベリージャムを放り込みながら、「日本は一回滅びるべきなのよ」といつもの口調で小さく呟き、同じ食卓を囲んでいた祖父や両親は余計な口を叩いて祖母を刺激しないようにという配慮のもと閉口し、ただニュースが終わるのを待っていた。わたしは今でもたまに思い出す。咀嚼する音が妙に響き、女子アナウンサーは薄っぺらい笑顔で媚び、くだらないコマーシャルが時間を消費し、誰もが祖母が普通の世間話をし始めるのを待っていた。薄紫色になったヨーグルトの色がひどく気持ち悪く、所々浮いている粒がひからびた虫の死骸のように見え、その甘くゆるいペーストを目を反らしながら口に運んだ。 確かあれは、十四年前の夏。



2012-07-07

Illuminance,Ametsuchi,Seeing Sadow

蝉の死骸が腹を見せている。その上で音もなく回る洗濯物の影。遠くから聞こえてくるのは、やはり蝉の鳴き声。息絶えた同種のことはすでに忘れている。そもそも認識すらしていないのかもしれない。生い茂るススキが一本一本発光しながらただ風に乗っている。画面右下から伸びる皺々のおばあちゃんの手。手首から先しか見えていないのにどうして性別を感じてしまうのだろう。紛れもなく女だった手がずっと痙攣を続けている。右手。左手が震えを抑えようと添えても止まることはない。死んだカマキリに群がる大量の蟻。機械的に人の手で切り落とされる魚の頭。子供が笑っている。ブランコが揺れている。水面が光を反射して煌めいている。カーテンの裾からの朝日。両サイドからの雷の音。赤く茹で上った蛸。火を連れて歩く少女。ビニール袋に詰められた金魚。






小さな部屋に隔離され、わたしは体育座りで二つの画面を追う。膝を抱えて座っている。右も左も知らない人が同じ格好をしている。立ち上がり去って行き、空いたスペースに座る。わたしは何番目だったのだろう。20分の差をつけて同じ映像が左右に流れている。始まりも終わりもわからない。皆、それぞれ区切りをつけ各々スペースから出て行く。見覚えのある日常が暗闇に画面を変えた。右、そして左、どちらも雨が降り止まない。遠くから響く呻き声のような罵声のような雷の音にわたしは子供のように怯え、祈るように両側の雷雨を見つめた。もういらない。だから壊す。何も間違っていない。排除されずに残っていたわずかな記憶が誰かの日常と重なり合い、どこからか蘇り、また消えて行く。 虹色のシャボン玉が悲鳴をあげるように割れた。そして花火を背に誘導する警備員を左の画面で確認したあと立ち上がり映像が流れる部屋を去った。出口付近で最後に見た写真は一部分が亡霊のように燃え上がる炎。消費された魂が尽き果てて尚、燃えているようだった。



ありふれた日常を切り取って差し出されるだけなのに、どうして切なくて苦しいのだろう。

見たことのない数秒がこんなにも美しかったこと、どうして知らなかったのだろう。



川内倫子展 照度 あめつち 影を見る

Kawauchi Rinko Illuminance,Ametsuchi,Seeing Sadow

2012年5月12(土)〜7月16日(月.祝)

東京都写真美術館



2012-06-24

moussy




おでこを出して、古着のデニムとAmerican ApparelのTシャツに合わせるんだ。



2012-06-23

retrial

1997年(平成9年)3月19日に、東京都渋谷区円山町にあるアパートの1階空室で、東京電力東京本店に勤務する女性(当時39歳)の遺体が発見された。発見し通報したのは、このアパートのオーナーが経営するネパール料理店の店長であった。後に被告人となるネパール人男性ゴビンダ・プラサド・マイナリは、このアパートの隣のビルの4階に同じく不法滞在のネパール人4名と住んでいて、被害者が生前に売春した相手の一人でもあった。死因は絞殺で、死亡推定日時は同8日深夜から翌日未明にかけてとされる。 1997年(平成9年)5月20日、警視庁は、殺害現場の隣のビルに住み、不法滞在(オーバーステイ)していたマイナリを、殺人事件の実行犯として強盗殺人容疑で逮捕した。マイナリは、捜査段階から一貫して冤罪を主張。当初は、ありふれた殺人事件と思われていたが、日本を代表する大企業のエリート女性社員が売春を行っていたこと、無罪になった外国人を釈放せず拘留し続けたこと、DNA鑑定の真偽に問題があること、検察による証拠隠しの疑いなどにより、裁判史に残る事件となった。 (東電OL殺人事件 Wikipedia参照)

ちょうど、とか、たまたま、とかそんな言葉で説明がつかないほど、この15年前の事件に興味を持っていた最中の6月7日、東京高裁がついに再審を始める、というわけでマイナリさんは釈放されたわけなんですが、あまりのタイムリー具合に驚愕してしまった。

友達にすすめられた桐野夏生さんの「グロテスク」を読んだのが5月の始め。被害者の女性がモデルになった登場人物がとにかく破壊力を持っていて虚脱感はんぱなさに数日ぐったりした。 それから見逃していた園子温監督の「恋の罪」のレンタル開始日、それが6月2日、事件を軸にしたその映画は想像と少し違ったけれど、終わったあと唖然としてしまった。鼻血を流していた神楽坂恵さんの見事なまでの美しさ。 そのあと事件のことが気になり調べているうちに佐野眞一さんが書いた「東電OL殺人事件」「東電OL症候群」という2冊のノンフィクション小説に辿り着き、読んでいる最中になんと再審が始まったのでありました。そんなことってあるの。

裁判の部分は理解しきれなかったけれど、それ以上にどうしても被害者のことが気になってしまう。 職業、体型、身なり、お化粧、食事、家族、関係、所持品、行為、排泄、殺害後。 知るほどにもどかしい気持ちが膨らんで追いかけるのを止めてしまったけれど、多分忘れられない人として私だけではなく、色んな人の心の中に残っているのだろうと思う。あまりにも苦しくて、腹立たしい、そしてまだ終わっていない恐ろしい事件。 「グロテスク」「恋の罪」「東電OL殺人事件」「東電OL症候群」の順番で追うと、想像が映像化され、いつのまにか現実を追いかけているという展開になるので、じわじわと迫ってくる気配はもう言葉にならない。和恵が美津子になり、そして泰子さんと重なり、自ら歩み寄ったはずなのに気がついたら追いかけられているよう。





朝一番で健康診断に。採血はいつも針先を見つめてしまう。血が吸い取られていく感覚、特に痛みもないから他人事のように感じる。細い容器に3本、チューブに残った自分の血を見ながら、赤いなあと。作られた血っぽいものはたくさん見ているくせに、なんかこう違う気がして、もう少し見ていたかったけれど、名前が書かれた容器は保管され、針とチューブはいつのまにか処分されていた。私の血、正しく赤かったなあ。強制的に引き抜かれていった血の検討を。

これからも、よい朝を迎えられますように。



2012-05-05

tokyo tower

雨音が呼吸を円滑にする夜

ありふれた日常を握りつぶす何もかもがオーダーメイド

自己欺瞞を否定するあなたはどちらさまですか

たとえ鉄骨が降り注いだとしても私は





2012-05-03

Duvet

湿度のないからりとした風が頬を撫で回しながら幾度も駆け抜け、思わずページをめくる手を止めた。新緑美しく日差しは良好、少しばかりひんやりとする木陰で珈琲をすする。両側のテーブルが何度か回転して次、スタッフの研修の最中、何故かその声を受け付けられない。「じゃあQSCのQの意味を教えて?」劇団員風な抑揚とひらひらと舞う掌が彼のステージだけ走り出した光景を確立させ、完全なる自分本位の性交を想像させる。ああ、ご破算願いましては。振り払う台詞はいつだって同じだ。その算盤に熟した桃を押し付けて甘い果肉を通り抜けさせたい。もしくは網戸に木綿豆腐、あるいはガットから蒟蒻畑。何かをこう押し付けて形を崩した跡を見たいのだ。脳をシュレッダーにかけ再生を促すように。記憶の破片を取り除くように。そういえば私は自分の頭部CTを部屋に隠し持っている。二段目の左、茶封筒の中。いつか理性を失ったらどうかそれを突き出し宥めて下さい。「あなたはあなたが思っているよりも左右対称である」と。きっと私は時空を逆転させ、自分の粗忽を詫びるだろう。申し訳ございません、大変失礼いたしました。常套句に頬を薔薇色に染め、記憶の上書きに精を出す。未来の失態を描き、平穏に過ぎ去った時間を慈しむ。苦みのある葉ばかり好む私と現実の整合性のなさについて話し合うべきなの。もしくは掴んでいる尻尾に血が通っているかどうか。温もりのある影はきっと柔らかにシナプスの混乱を防ぎ、完璧な主張は慎ましやかに、意志は揺るぐことなく忠誠を誓う。さあ、今すぐに快哉を叫べ!