2010-08-30

contrail

シャッターを押すタイミング以前に、カメラを取り出すタイミングのほうが難しい、と思ってしまう。バッグの中にだいたいデジカメは入っているけれど記念撮影とかするタイプではないみたいだし、素敵なお店で食事なんてしちゃっても写真よりも前にすんなり口に運んでしまって、結局デザートだけ撮る、みたいなことも多いなと今気がついた。
だから結局甘いものが好きな子にうつってしまうのだ。(これはれっきとした言い訳です)

今日、夕暮れ時に歩道橋をのぼっていたら、目の前に飛行機雲がしゅっと流れていて、それが沈みかけていたオレンジ色の太陽に飛び込んでいた。
上のほうはまだ薄青空で、太陽の周りの雲は赤みがあって、なんていうか受精の瞬間みたいな空模様だった。

今すぐに消えてしまいそうな偶然あいまってそうなった光景を、きっとそういう時にカメラを取り出してその瞬間を切り取れたら人にも伝えやすいのだろうに、刻々と変化するその空を、わたしは呆気にとられてじっと見つめることしか出来なかったのです。
目が離せないってこういうことを言うんだろうな。それぐらい神々しいものを放っていた。
見渡す限り、その空に気がついて立ち止まってる人はいなかったけれど。
どこへ行ってもみんな忙しそうだ。




この後雲はピンク色に変化し、日が沈むと藍色の空が広がっていてむあっとした湿気含んだ夜に突入していた。8月最後の日曜日はまた来年までおあずけなんだなと思うと、胸がきゅうっとなった。あたりまえのことだけれど、言葉にするとしみじみする。
やっぱりシャッター押すべきだった、と脳裏に焼きついたそれを思い出すたびにちょっと悔んでいます。だって、ほんとうに何かが宿っているみたいだったのだから。




2010-08-29

my sabot



かぽり、かぽり、かぽり、と機嫌のよさそうな足音が鳴る靴はいて、あてもなく。




2010-08-25

SARAN WRAP CITY GIRL

よほど遠い過去のこと、というには大げさすぎるけれど、それくらい記憶は曖昧で、 けれどいつからか当たり前のように東京で暮らしています。そしてその間に様々な出来事があり、どうやら根っこが生えてしまったようである。
なんだかんだ言って東京は破壊的かつきらめき含めた未知なる場所。
東京はある人によって「サランラップ・シティ」と名付けられていました。
全てが被膜に包まれてるような世界を表現するにはなんて相応しい言葉なんだろう、と。
わたしがその言葉を本で知ってから数年が経つけれど、 ますます無色透明のそれは気がつかないうちに勢力を増している気がしています。
けれど今更何かに包まれていないものを直に手に取ることは躊躇してしまうだろうし、 そもそものはじめから、記憶の限り、食品も生活用品も何もかもが透明のそれで覆われていた。
手触りのあるコミュニケーションはもちろん素敵なことだと思う反面、こんなにも便利な時代だからこそ 過ぎ去ったことを美化するより、今が楽しくなることを考えるほうが断然いい。





お世辞にも綺麗とは言い難い街並み、メッセージに溢れすぎている空間、歪み続けるあれこれ。そのことに今更がっかりなんて、しない。個人としてもっと楽しくなること、邪まな気持ちではなく、限りなく前向きな方法、それはあまりにも些細なことでもいい。
例えば、服を着ること。
自分が気持よく過ごすためのツールのひとつとして身体の表面を賑やかにしていく行為。 サランラップシティを軽やかに歩くための自分加工欲はとめどなく、それはいつしかエネルギーに変化してゆくわけで 時に振り回されたりしながらも留まらない、そのささやかで最大の楽しみはいつもそばに。
それから文字を綴ること。
赴くままに彷徨、あるいは、消えかけた軌跡を日々の溜息とともに。